四国お遍路1200kmを徒歩で回りきった感想
概要
四国のお遍路の旅をご存知でしょうか。聞いたことくらいはあるかもしれません。四国にある88箇所のお寺を回る巡礼の旅です。そのお遍路を6年かけて徒歩で歩き通しました。距離にしておよそ1200kmです。ちょっと珍しい経験だと思うので、ここに感想を残しておこうと思います。
お遍路とは
弘法大使(空海)が修行で訪れた88の寺を巡る旅です。1200年ほど続いています。徳島県にある1番寺から香川県にある88番寺までを訪れます。方法は徒歩・自転車・車・バスのツアーなど人それぞれです。ほとんどの人がご朱印帳を購入し、お寺で記入してもらいます。
きっかけ
きっかけは元同僚と上司のお誘いでした。定年後のセカンドライフで挑戦するから一緒に来ないかと。面白そうなのでその場で参加することに決めました。この時はスタンプラリー程度のノリでした。
僕は元々ロングトレイルが好きです。過去には国内外のトレイルもいくつか歩きました。目的地だけを楽しむような「点と点の旅」ではなく、ではなく全ての過程を楽しむ「線の旅」が好きなのです。非日常に出かけるのではなく、別の日常に出かけるような旅です。
この時点では1200kmを歩くとしか決まっていない漠然とした旅です。一体これだけの距離を歩き続けると何が見えるのか。考えるだけでもワクワクしました。
通し打ちと区切り打ち
一気に最初から最後まで歩き通すことを通し打ち、旅を何度かに分けて歩くことを区切り打ちと呼びます。ロングトレイルのハイキングだとスルーハイクやセクションハイクなんて言い方をします。通し打ちと区切りうちにはそれぞれに特徴があります。
通し打ちの特徴
- かかる日数は歩きで50日くらい(自転車だと2週間くらい)
- 競技的な達成感がある
- 消費する時間が少ない
- 費用が安く済む
区切り打ちの特徴
- かかる日数はバラバラ(何回に分けるかによる)
- 大きな旅としての達成感がある
- それぞれの季節を楽しめる
- 長期間のライフワークとして楽しめる
僕が歩いたのは26回に分けた「区切り打ち」です。週末や連休を利用して車で四国まで移動し、前回歩いたところから徒歩で歩き始める みたいなスタイルです。
過去にロングトレイルをスルーハイク(通し打ち)したこともありますが、お遍路に限って言えば区切り打ちでよかったと思います。理由は四季です。田んぼの一つとっても、田植え、青い稲、刈り入れ時の黄金色など景色の移り変わりが素晴らしかった。まるで日本昔話の中を歩いているような感覚でした。
ローカルな民宿とうまい食事
宿は全て民宿でした。どこも一泊2食付きで¥5~6,000位です。宿坊と呼ばれる「お寺の宿」もたくさんあるけど今回は縁がなく利用しませんでした。 食事は大抵地域のものが出されます。家庭に出される「実家のごはん」といった雰囲気です。高級ではないがとても美味しいです。あまり市場には出てない、地元ならではの海の幸。見たことも聞いたこともない、 でも食べてみるとすごく美味い みたいなことがよくありました。
大変だったこと
長かった
最初は2年くらいで終わると思ってました。1 ~ 2回くらい歩いて自分たちが歩ける距離を把握するとすぐに甘い計算だったことがわかりました。この6年の間に子供が生まれ、仕事も変わり、同行者は関西から関東に引っ越しました。それでも続けました。なぜ6年も続けることができたのか、一緒に歩いた仲間の力が大きかったと思います。1人だと確実にやめてました。
折り返し地点の足摺岬(高知県)までが一番大変でした。この辺りで何度かやめたいと思いました。ここを過ぎてしまえば残りの600kmは惰性です。下り坂を進むようにゴールがスルスルと近づいてきました。
暑かった
歩いているので寒いのは平気です。大変なのは暑さ。高知の海岸沿いはほとんど日を遮るものがありません。直射日光に照らされながら何十キロも歩きます。時には寺同士の距離が80kmにも及びます。サーフィンやBBQを楽しむ人々を傍目に汗だくで歩き続けます。まさに修行。
上記の通り、つまり高知県が一番大変でした。ちなみに四国遍路で通る4県にはそれぞれ呼び名があります。徳島は「発心の道場」、高知は「修行の道場」、愛媛は「菩提の道場」、香川は「涅槃の道場」と呼ばれています。まさに高知は修行の場です。本当に大変でした。(自転車だと最高だと思います)
朝が特別な時間
朝の歩きは特に最高の時間でした。毎回大きな楽しみでした。 朝はうっすら前日の筋肉痛が残りつつ、美味しい食事と十分な睡眠によって英気が養われた状態です。外は少しひんやりとした空気、朝靄に包まれた田舎の日常。そんな中、宿を出てをゆっくり歩き始めます。
都会では見られない、遠くまで突き抜けた景色をぼんやりと眺めながら歩きます。何にも気を遣わなくていい時間です。車や歩行者はいないし、歩くべき道は道はシンプルに前に続いています。
すると歩いている内にぼーっとしてるのに、ものすごく頭が冴えた状態になります。遠く離れた場所から俯瞰した感覚になり、普段では考えないような広い視点で考えごとができました。本当に気持ち良い時間でした。
僕は山登りも好きですが、これは山登りでは味わえない感覚です。山は登ることに集中するからです。ここで味わっているのは、何にも集中しない超ニュートラルな状態です。足を動かすという程よいタスク、木のざわめきや鳥の声など程よいノイズ、自然の中に程よく紛れる田舎の人工物、こういう要素が重なってできる特別な時間です。こういう時にはいつも日常の生活で複雑に絡み合った頭の中がスルスルとほどけていきました。
綺麗なものばかりでもない
歩いていて見えるのは綺麗な景色ばかりではありませんでした。特に目についたのが街の衰退ぶりです。空き家や廃墟が目立つ町が本当に多かったです。廃墟の楽しげな看板になんとも言えないコントラストを感じます。まるで昭和の遺跡といった雰囲気でした。
失礼な話だけど、宿泊予定の宿を廃墟と間違えて通り過ぎてしまったことがありました。すぐに気づき宿泊できましたが、壁は斜めに傾き天井が今にも落ちてきそうで驚きました。廊下には使われていない配膳盆が積み重なり、分厚い埃をかぶっていました。
宿は老夫婦2人で経営されていました。おじいさんが料理を作り、おばあさんが布団を敷いてくれます。「もういいですよ、 自分たちでできますよ」と声をかけたくなります。ここには長年旅館業を積み重ねてきた2人の生活の最前線がありました。
歩き終えて見えたもの
軽いスタンプラリーのつもりで歩き始めたのに、気づけば6年も経っていました。開始前に期待していた綺麗な景色や宗教文化の面白さ等は案外すぐにどうでもよくなりました。全体を通して一番印象に残ったのは不思議な時間感覚でした。
ひたすら歩いていると、色んな光景が目の前をゆっくりと過ぎていきます。新築のきれいな家の前で楽しそうに遊ぶ母子、少し離れると自然崩壊しつつある空き家や廃墟。割れた窓越しに見えるのは埃だらけのおもちゃ。かつてはここも団欒の場所だったんでしょう。
田植え中の水々しい田んぼ。次の回に歩く時には綺麗な黄色の稲穂に変わっています。また次の回にはさっぱり刈り取られてる。そして次の回にはまた田植えの景色。(3ヶ月ごとに歩いていたので毎回季節が変わっていた。)
新しいものや古いもの、春夏秋冬、赤ちゃんや老人、他人の人生がグルグルと目の前を回り続けました。徒歩のスピードだと嫌でも目に入り続けます。ものすごく長い時間をタイムラプスで凝縮して見せられてるような気分でした。ぐるぐるぐるぐるぐるぐる回る。
それを何度も何度も何度も続けてる内に、いつの間にか88のお寺を回り切ってました。最後のお寺を回った後はそのまま1番目のお寺まで戻ります。それで綺麗に四国の1周が完成です。
この時は随分と遠くまで来たような気分になっていました。でも、最後に辿り着いたのは、なんと6年前に出発した場所でした。
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